刑務所より愛を込めて No.11


文/高木一行
〜2016年7月30日〜


愛する美佳

 手紙を受け取った。
 明らかな冤罪であるとあかっていても、仮釈放と引き換えに強引に罪を認めさせようとする。これが日本の司法の卑しむべき現実だ。
 こちらで仕入れた情報によれば、4年くらいの刑期で仮釈放はせいぜい半年~8ヶ月程度のケースが多いそうだ。それを棒に振って敢えて再審請求したとしても、大半は却下。仮に認められるとしても、早くて数年、中には10年、20年もの歳月が流れ去ることも決して珍しくない。しかも、再審の結果が正当なものとなるとは限らない。中高生でもわかる明白な証拠を取り上げさえすれば冤罪であることが直ちにわかるにも関わらず、だ。何とも卑劣な話ではある。

 こちらの事情についても少し知らせておこう。
 トラブルを起こさず大人しくしておれば、しかるべき時が来たら自動的に仮釈放されるかといえば、決してさにあらず。自らに非はなくとも、他人のいさかいに巻き込まれることもあれば、足を引っ張られ陥れられることもあるそうだ。創造性の悦びに満たされた日が1日も許されないまま、毎日毎日同じことの繰り返しが何年も延々続けば、心身に変調をきたす者が出てくるのも当然だ。
 刑務所(ここ)では人間関係がすべてを決める。積極的に誰とも仲良く交流するのではなく、いかに自分を殺して存在感を希薄にし、他者を立ててゆくか・・・。
 それはそれで有意義な修業だし、今回配役(はいえき)された工場の雰囲気は比較的穏やかだ。

 ヒーリング・アーツ、龍宮道で重視してきた受容性を英語でpassiveと言うが、語源を同じくする言葉に、compassion(慈悲)、passion(情熱)がある。passionにはまた、十字架上のイエス・キリストの受苦、受忍をも意味する。
 冤罪で刑務所にいる私は、人類の苦を共に受け、共に耐え忍ぶ意気をもって、無味乾燥な1日1日を生きつつある。
 居室の目隠しされた窓の外に桜の木が2本植えてあり、そこで繰り広げられる各種セミたちの競演が、今、私を外的に楽しませる唯一のものだ。

2016.07.30       
愛を込めて

一行