えん罪被害者・高木一行先生の手記

 弁護士を通じて寄せられた高木一行先生の手記を以下にご紹介いたします。

 

えん罪の悪循環

文/高木一行

[ ]内はルビ。

悪質な麻薬犯罪者?

 私の名は高木一行[たかき かずゆき]。
 この文章をしたためている2015年11月15日現在、55歳。愛する家族もいる。広島県在住。
 ある程度の経験を積んできた年齢であり、それゆえにこれから述べることは、未経験な若者が血気に逸って開き直り、自己弁護にこれ努めるようなものとは根本的に性質が異なる。

 私は現在、「悪質な麻薬犯罪者」として糾弾され、裁判にかけられている。
 起訴内容は、「麻薬及び向精神薬取締法違反」、「関税法違反」、「大麻取締法違反」。
 原審(第一審)は1年数ヶ月に渡り12回の公判を数えた。先日、2015年11月12日に控訴審を終え、原審、控訴審共に判決は、「確かに悪質な麻薬犯罪者である。よって懲役4年半の実刑がふさわしい」、と。

 事実その通りであるのなら、そもそも裁判で争おうとなどしなかったろう。
 何もやってないというわけではない。その点については正直に認めるし、充分反省もしている。
 が、一つだけ問わせていただきたいのだ。
 ただ罪を重くせんがために、検察官と裁判官が協働して事実無根の罪状をデッチあげる、そんなことがあってよいのか?

 

えん罪

 えん罪であるとハッキリ言う。検察官が証拠に基づかない罪状をねつ造し、裁判官らが証拠を検証することもなく検察のねつ造に基づき判決を下したとすれば、それは立派なえん罪であろう。このえん罪は、原審における検察論告要旨と判決文を、実際に証拠と照らし合わせながら詳しく調べれば、誰でも直ちにわかるものだ。
 まさか検察と裁判所が悪意をもってえん罪をでっち上げるはずがないと頭から信じ込んでいたため、そのことに弁護側がようやく気づいたのは控訴審判決が言い渡される直前であった。「悪質」なのは一体どちらなのかと言いたい。

 こうしたわかりやすいえん罪以外にも、憲法や判例、その他法律の高度なレベルにおいて、起訴事実は幾重にもえん罪であると私たちは主張し、それゆえに「反省の色がまったくみられない」と検察、裁判所の憎悪をより一層かき立てる結果を招いた。
 腹を立てるのは一向に構わない。
 しかし、だからといって、一等重い罪を着せてやるといわんばかりに、検察官と裁判官があからさまな罪状ねつ造を冒すことが果たして許されるのか?

 

麻薬に反対し、酒もタバコもやらない麻薬犯罪者

 自らが置かれている立場についてご説明申し上げる前に、いくつかお断りしておかなければならないことがある。
 まず私は、酒を1滴も飲まないし、市販のタバコに手を出したこともこれまでの人生において1度もない。ただし、大麻に関してはこの限りにあらず。それに関しては後に述べる。
 それから私は、身体に有害で依存性(中毒性)があるコカインやヘロインなど真性の麻薬に対し、「反対」する立場を取っている。それらを使用したことは1度もない。
 最近世間の話題となっている、いわゆる危険ドラッグについても、正体のわからない怪しげな薬物は「正しい法的手続きに則って」まず迅速に流通を規制し、その後に個々の内容を科学的に詳細に検証していって、最終的に然るべき判定(どのような規制のあり方が妥当か)を下せばよいと考えている。

 どこかに、私の行為による被害者がいるのか?・・・否、誰もいない。
 それではお前は、何もやってないのに、無実の罪を着せられたのか?
 いや、すでに述べたように何もやってない、などと私は言っているわけではない。
 だが、4年半も刑務所へ入っておれと問答無用で強要されるようなことをした覚えは、一切ないのだ。

 

証拠も読まずに判決を書く裁判官

 検察官が証拠に基づかない虚構をまずねつ造し、検察論告要旨に明記した。持論の根拠となる証拠であるとして検察官が指摘した複数の資料(証拠採用済み)を読みさえすれば、それらに検察官が述べるような内容は「一切」含まれておらず、直ちに捏造と判明したはずなのに、原審担当の3名の合議裁判官らはそれにまったく気づかず、気づこうとすらしなかった。
 すなわち「証拠書類を読まずに」、検察官の言い分を完全に盲信し、被告人の人生を左右する重大な判決を記してしまった。
 検察官と裁判官が協働してえん罪を産んだのだ。

 そのことが控訴審の判決言い渡しの直前に明らかとなり、ねつ造の事実を補完する関係者の陳述書と合わせ、弁護人が急きょ審理再開を申し立てたが、検察と裁判所の完全な無視に遭った。
 検察官も裁判官も、所詮は被告側の無駄な悪あがきに過ぎぬと高をくくり、何がどのように問題かを指摘した審理再開申立書の内容をろくすっぽ読みもしなかった可能性が高い。
 なぜなら控訴審担当の3名の合議裁判官らは、原審におけるねつ造をそのまま無検証で引き継ぎ、事実無根の罪状を判決文で堂々と述べる大失態をやらかしてしまったからだ。

 

事件の経緯

 もう少し詳しくご説明しよう。
 2013年冒頭、私の依頼で友人Aがメチロンという化学物質を少量、インターネットを通じてオランダのショップから購入したのが事件の発端だ。
 その数年前まで購入も所持も自由だったメチロンが、わが国でいつの間にか「麻薬」に指定されていたなど、世事にうとい我々には知るよしもなく、また合法的な海外のウェブショップからクレジットカードを使って簡単に購入できるようなものが、まさか麻薬として厳重に規制されているなど思いもよらぬことであった。

 油断がなさしめた失敗であり、知らず知らずのうちにとはいえ法律に抵触してしまったのであれば、それに対する責任を潔く負わねばならない。
 家宅捜索の際、10年以上前に入手したいくつかの化学物質のサンプルや自宅で栽培した少量の大麻等を自発的に提出し、合わせて自らの罪を問うた。提出した薬品のうち、2C-Bと2CT-2が麻薬として規制されていたことがわかった。だが、事前に麻薬とわかった上で所持していたわけではない。

 その結果が、懲役4年半の実刑。
 初犯であり、通常であれば執行猶予がついて失地挽回と更生のチャンスが与えられるはずが、そのような機会さえ許されない、それほどまでに大それたあくどいことを、私はやってしまったのだろうか?

 友人Aは共犯者として懲役2年(控訴して1年8ヶ月に減刑)を宣告され、すでに刑期をほぼ終えて現在仮釈放中だ。
 Aがまず、えん罪被害者に仕立て上げられた。
 メチロンが麻薬であると知った上で故意に密輸を企てた。しかも、当時私が主宰していた健康法の小グループ(メンバー10数名)「ヒーリング・ネットワーク」による組織ぐるみの悪質な麻薬密輸犯罪。
 そのような悪事に手を染めた罰として、Aは刑務所へ送られることとなったのだ。

 

罪を重くするために罪状をでっち上げる

 メチロンが麻薬であると知った上で密輸したのか、知らずに輸入したのか。
 そのことがなぜ重要かといえば、前者であれば当然ながら罪は重く、後者の場合はずっと軽く(あるいは無く)なるからだ。
 どちらであるかによって裁判の結果が天と地ほども変わってくるのであれば、一般市民の普通の感覚からすれば、1人の人間の人生を左右しかねない重大なことなのだから、慎重の上にも慎重を期して証拠をしっかり調べ、その上で正しい判断を下すのでなければならないと誰もが思うだろう。

 ところが、検察官と裁判官の考え方はまったく違う。
 罪はできるだけ重くなければならない。
 とすれば、麻薬と知った上で密輸したはずだ。組織的な犯罪であればなおさら罪は重くなる。
 ではそういうことにしよう、とまず結果を決めておいて、その自らがでっち上げたストーリーにできるだけ添うよう、人質司法と呼ばれる拷問的手法を駆使して自白を強要し、あるいは証拠の中で都合のよいものだけを恣意的に選んでつなぎ合わせ、都合が悪いものは切り捨てるなどは、すでに心ある人々のよく知るところとなっている。
 ・・・のだが、Aはまさか正義の味方のはずの警察や検察が自分をわざと重い罪に陥れようと画策しているなど疑いもせず、何もかも正直に話したのだから裁判所も温情ある判決を示してくださるに違いないと無邪気に信じ込んでいたようだが、結果は執行猶予なしの懲役刑!
 それでもなお、「それだけの悪いことを自分はしでかしてしまったということなのだろう。刑務所送りも仕方ない」と、Aはつい最近まで思い込んでいたというのだから、そのお人好しぶりには呆れ返らざるを得ないが、と同時に、そうした国民の信頼を平然と踏みにじり、裏切り続ける検察・警察と裁判所のあり方に、深い憤りを覚える。

 

ねつ造に基づきさらにねつ造

 私に対しても、Aと同じやり口で事件がねつ造された。
 Aの供述調書を検察官は証拠として示し、論告要旨の中で「Aは最初、麻薬であるとは知らなかったと嘘をついていたが、その後観念して、実は麻薬であると知っていたと自供した」と、まず虚偽をでっち上げた。
 実はAは、取調べ中ずっと一貫して「麻薬とは知らなかった」と正直に事実を述べ続けていた。「最初は嘘をついていたが、実は麻薬と知っていた」などといった供述は、証拠採用されたAの供述調書はもちろん、検察開示の全記録を精査してもどこにも見当たらないのだ。

 にも関わらず、検察官は上記のようなねつ造を平然と論告要旨で述べ、共犯者が麻薬と知っていたのだから、私も当然麻薬とわかっていたはずだ、と断定した。
 それだけではまだ足りぬとばかりに、ヒーリング・ネットワークとは実は麻薬を使う怪しげなカルト集団であった、という奇怪な論を展開してゆくのである。
 ねつ造に基づくさらなるねつ造だ。

 

それは危険な麻薬ではなく、むしろ有益なものである可能性が高い

 ここまで来るともはや異常としか言いようがないが、そのように誤解されかねない微妙な要素が、我々の側にあった事実については正直に認めねばならないし、徹底的に反省せねばならない。
 私はコカインやヘロインなどの麻薬を使用したことはないと述べたが、「日本で麻薬に指定された」メチロンを、それが合法であった時代に使用したことが、何度か「ある」。
 その自らの体験を通じ、メチロンに麻薬のような危険な作用が「ない」ことを私はよく知っていた。
 今回、友人Aの逮捕をきっかけに、「麻薬と知らずに所持していた」手持ちのメチロン(裁判とは無関係)をほぼ毎日、時には通常の使用量の10倍近くを、約半年間に渡って連続摂取する実験を行なったが、心身に一切害はなく、突然使用を中断してもさらに使いたいという渇望を一切感じなかった。つまりメチロンには、有害性も依存性もない。
 オランダのようにメチロンを麻薬とみなさず、ニュージーランドのようにメチロンの個人所有は犯罪ではないとしている国家も少なくない。

 酒もタバコもやらないお前が、なぜメチロンにそれほどこだわるのかといえば、それだけの有益な可能性がメチロンに秘められているからにほかならない。
 例えば、東北沖大地震のような災害や家庭内暴力、従軍などで深刻なPTSDにかかり、日常生活に支障をきたすほどとなった人々に対し、メチロンはMDMAと共に唯一の効果的な治療薬となり得るのだ。
 これは素人の勝手な憶測を述べているわけでは決してない。アメリカ合衆国やイギリス、オーストラリア、イスラエルなどで政府公認の元、深刻なPTSD患者に対して実際にMDMAを治療用に用いる臨床試験が現在実施されており、大きな効果(なおかつ副作用なし)が挙がりつつあるのだ。
 この臨床試験を主導する米国の非営利団体MAPSの創設者リック・ドブリン博士は、ハーヴァード大学で博士号を取得した科学者だが、私の裁判に関心を寄せ、日本がメチロンを麻薬指定した際のプロセスに科学的に重大な瑕疵があると指摘する意見書まで記してくださったのだが・・・・例によって「却下」。
 同じく私の裁判を支援してくださっている社会学者の山本奈生先生(佛教大学特別専任講師)が記してくださった意見書には、メチロンと大麻に関する国際情勢が客観的に記され、諸外国では非犯罪化が進んでいることが述べられているのだが、同様に「却下」。

 特に強調したいのは、私がメチロン等と関わっていたのはあくまでも個人的な研究目的であり、私が主宰していたヒーリング・ネットワークでそれを他者に使わせたことなど1度もないという事実だ。
 カルト集団による組織ぐるみの麻薬密輸など、ねつ造と呼ぶことすら憚られるほどの、完全に荒唐無稽なデッチ上げだ。

 私たちはそもそも、ここ数年激しい武術の稽古に取り組んできたのである。
 稽古の模様を毎回記録したビデオ映像の一部をその都度インターネットを通じて一般公開し、現在でも閲覧可能だが、麻薬による酩酊状態で行なえるような内容でないことは一目瞭然だ。動画に登場する者たちが麻薬で異常な言動を示しているかといえば、事実はまったく違っており、和気あいあいとしながらも秩序と礼節を保って楽しげに稽古に励んでいる光景が延々映し出されるのみ。
 麻薬を使う怪しげなカルトであるかどうか、実際の模様を記録した映像をどうぞみていただきたいと裁判で証拠請求したDVDは、ご想像の通り、すげなく却下。

 

自分の行為のどこが、どういう風に悪いのか?

 原審において私は以下のように訴えた。
 麻薬であるとはまさか思いもせずメチロンを輸入したことは私の落ち度であり、しかるべき刑罰に服す所存である。
 しかしながら、メチロンに麻薬と呼び得るような作用があるとは、自らの経験上信じ難い。
 まずは、それがいつ、誰によって、いかなる理由で、麻薬と決められたのか、それを知りたい。
 さもなければ、自分がどういう悪いことをしたのかがわからない。ただ法律に違反したから悪い、では納得いたしかねる。
 自分の行為のどこがどんな風に悪かったのか、それがわからないままでいかにして反省し、いかにして悔い改めることができよう?

 ナイーヴかもしれないが、そのように問いかけることは、憲法で保障された公平な裁判を受ける権利に含まれるはずだ。
 が、この問いかけに対して検察官が法廷へ持ち込んだ「メチロン麻薬指定時の議事録」と題する文書は、その後、実はメチロン麻薬指定とは無関係な別の審議会の議事録であったことが判明。
 検察官はついに最後まで、立証根拠を具体的に示すことができなかった。
 が、裁判官らは「別に構わない」と検察官を擁護。検察官による証拠ねつ造をも大目にみ、そうした態度を控訴審裁判官らもそのまま踏襲した。

 

メチロン麻薬指定のプロセスそのものが憲法違反だった?

 私の裁判の中心となっているのはメチロンなので、それに話を絞るが、わが国でメチロンの麻薬指定が決定された際、その自然科学的根拠とされた舩田正彦氏(国立精神・神経センター所属)による実験報告書が、またとんでもないシロモノなのである。
 人に投与すれば半数が死んでしまうとされている量(LD50値)に相当する大量の薬物をネズミに与え、「行動に異常がみられたから有害」と決めつける。
 あるいは、培養された神経細胞に通常使用量の500倍、1000倍もの異常な濃度を使用し、それで細胞が死んだから「毒性が強い」と結論づける。
 その、科学とはかけ離れたあまりのデタラメぶりには、報告書の鑑定を依頼した海外の専門家らも呆れ返っていたほどだが、ここでもまたもやねつ造だ。
 しかしながら、原審と控訴審の裁判官らは、何の問題もないではないか、と決めつけた。舩田氏は立派な経歴を持つ科学者なのだから、間違いなどあるはずがないのだ、と。
 舩田報告書から適当に引用しながら判決文を記す際、裁判官らがその内容を本当に理解していたのか、大いに疑問である。

 メチロン麻薬指定のプロセスそのものについても、調べれば調べるほど不可解な点が浮上してくる。それを行なった厚生労働省は、具体的な資料の開示をなぜか頑なに拒み、開示請求しても大半を黒塗りにして隠す始末で、内容を検証することさえできない。
 それで憲法31条が求める適正手続きを経て麻薬指定したとなぜ言えるのか?
 ところが裁判官らによれば、特に問題はないそうなのである。
 メチロン麻薬指定について内閣に審査を依頼する書類中に、あからさまな虚偽が記され、虚偽有印公文書作成と使用の証拠があっても、「ちょっとしたミスに過ぎない」と強弁してのける。

 

ねつ造につぐねつ造、またねつ造

 こういった調子で、メチロン麻薬指定のやり方はねつ造、ねつ造のオンパレード。
 ただし、これらの捏造の多くは、「国家が本来正しく行なうべきこと」をきちんと「やってない」という、どちらかといえば消極的なねつ造といえるかもしれない。だから、裁判官らが法知識を誤用・乱用して、いくらでも言い逃れることができるのだろう。
 そこまでやるか、と呆れ返るほどに。

 ところが最初に述べた罪状ねつ造については、検察官によるねつ造と裁判官らが証拠を読んですらいなかったことが、彼らが自ら記した論告要旨と判決文の中でハッキリ示されてしまっている。
 私も、共犯者とされたAも、メチロンが麻薬であるなどとは知らなかったにも関わらず、証拠に基づくことなく「麻薬であると知っていた」とデッチ上げた。
 麻薬とわかって密輸したのだから極めて悪質であり、それゆえに刑事責任は非常に重い、と。

 こうしたねつ造をも、「証拠に基づかない判断が一部ありはしたが、麻薬としての認識があった事実は揺らがない」とか「麻薬としての認識はなかったかもしれないが、全体的な判断に影響はない」などと、最高裁判事らは強弁するのだろうか?
 あるいは、上告それ自体すら認められず、「その必要を認めない(認めるとマズイことになる)」とあっさり却下してしまうのだろうか?

 私は別に、国家に対して難癖をつけ、それによって自らの罪を免れようとしているわけではない。
 しかし裁判官らが合理性、合理性としきりに口にするのであれば、被告人たる私に対してだけでなく、厚労省にも、検察官にも、実験報告者に対しても、等しく合理的な判断がなされるのでなければ、公平とも公正とも言えないだろう。そうしたごく当たり前の主張を理性的に、私は述べているに過ぎない。

 あらかじめ麻薬とわかった上で~と言うが、あらかじめ捏造とわかった上でえん罪をデッチあげるのと、どちらが悪いことなのか? どちらがより悪質なのか?
 そして、様々な証拠やAによる陳述書によって、あらかじめ麻薬と「知らなかった」事実が明らかであるのに、裁判官はなぜそれを頑なに無視しようとするのか?
 これは一見シンプルにみえて、その実非常に複雑な、えん罪事件なのかもしれない。

 

全世界的な大麻開放の潮流

 最後に大麻に関して述べておく。
 従来大麻を厳しく規制してきたアメリカ合衆国で大麻解禁の一大ムーブメントが巻き起こりつつあることは、すでに様々なニュースソースで繰り返し報道されてきたから、国民の多くが知るところとなっている。
 私の裁判が進む間にも、ウルグアイなど国家レベルで大麻が合法化された国もある。
 大麻が文句なしに有害であるとの意見は、いまやまったく時代遅れのものであることが世界的に公知の事実となりつつある。
 有害どころか、大麻が有効な治療薬となり得る難症が数百種も報告されている。癌やエイズの化学療法に伴う重篤な吐き気(延々8時間も続く)を大麻が魔法のように緩和してしまうことは医学界ではもはや常識であり、大麻が特効薬となる病気も少なくないといわれている。
 つまり、世界的な潮流に逆らって日本だけがあくまでも厳しく大麻を取り締まろうとすることは、大麻によって救われる可能性がある大勢の難症患者たちを余計に苦しめていることを意味するのだ。

 

ひたすら社会貢献を旨として

 メチロンや大麻などを私がなぜ使用したかについては、くどくどしく言い分けめいたことを述べない。
 ただ、個人的な楽しみのためにそれらを用いたことはかつて1度もなく、社会への貢献を常に旨としてきたことだけは強調させていただきたい。
 それらを使用することで身体感覚を研ぎ澄ませ、どうすれば身体をより良く使うことができるのか、体の様々な不調を調整できるのかについて、私はずっと一貫して研究してきたのである。
 そうした個人的研究を通じて新たに発見した事柄は、1万種以上にのぼる。それらを応用して病院や治療院でも治らない病苦に苦しむ人々を無償で救ったことが数え切れないほどある。

 言い分けめいて聞こえるかもしれないが、純粋に利他的な目的で、意識と身体感覚を変化させるハーブや薬物等を個人的に用いてきた。
 それによって公衆に迷惑を及ぼしたり、自分自身が何らかの害悪を受けたことは一度もない。逆に、気力、体力、精神力のすべてが円満な発達を遂げたと感じている。
 逮捕され、勾留されながら人権無視の取調べを受けた約60日間、抗議と信念主張のため、留置場で出される一切の食事を拒絶する完全断食を敢行した。警察署に克明な記録が残っているはずである。
 すなわち、裁判所が危険な麻薬であり人間をダメにしてしまうと決めつけたメチロンや大麻などによって、私の意思力はいささかも弱まることはなかった、ということだ。

 

高木一行氏 プロフィール

 高木一行氏は、様々な瞑想法、健康法、能力開発法、武術等について、30年以上に渡り深く研鑽を積み、新たな心身修養の道を切り拓いてきました。
 かつては雑誌への寄稿、単行本の出版、不特定多数の人々を対象としたセミナー等を通じての啓蒙活動に従事。
 さらなる社会貢献への祈りから、世間との接触を断ち、心身錬磨のトレーニングと並行して、長短の断食を行ない、シャーマニックな修業を試み、深山にこもり、あるいは南海の珊瑚礁や国内外各地の聖地に身をおいて感覚を開放するなど、独自の道を歩み続けました。
 その後、探究の過程で得たいやしのアートを分かち合う活動を2009年より開始。さらなる藝術の世界を切り拓き、帰神フォトグラフ(写真)など、他に類をみない藝術作品を現在も発表し続けています。

 2013年、「麻薬及び向精神薬取締法違反」、「関税法違反」、「大麻取締法違反」容疑で逮捕される。
 長期間に渡り勾留され、人権無視の取調べを受けながらも約60日間、抗議と信念主張のため、留置場で出される一切の食事を拒絶する完全断食を敢行しました。
 さらに藝術家として、裁判すらも藝術活動とすべく、第一審及び控訴審の過程を纏めたウェブサイトを発表。
 裁判は、警察、検察が証拠をねつ造、裁判官が採用した証拠を調べない、弁護側の証拠や証人をことごとく採用しないなどの不公正が公然と行なわれ、第一審、控訴審共に有罪となりました。
 2015年、裁判活動を通じ新たなヴィジョンを得、<龍宮道>を肇道[ちょうどう](1つの道が始まること)。

 2015年11月現在、最高裁への控訴に向け、多くの方々のご協力のもと、司法の歪みを正すべく、上告を準備中。