刑務所より愛を込めて No.4


文/高木一行
〜2016年5月21日 〜


愛する美佳

 波の絶えず砕ける岩頭のごとくあれ、とはローマの哲人皇帝マルクス・アウレーリウスの言葉だ。
 岩は、「なんて私は運が悪いんだろう。こんな目にあうとは!」などと嘆いたりしない。岩はむしろ次のように言う。「なんて私は運がいいのだろう。なぜならばこんなことに出会っても私はなお悲しみもせず、現在に押しつぶされもせず、未来を恐れもしない」と。

 マルクス・アウレーリウスは、「ストイック」の語源であるストア派哲学の系譜に連なる人物だ。無欲恬淡(てんたん)、倹約、素朴を重んじるストア派の教えや老荘の言葉が、刑務所生活には実によくなじむ。
 欲を捨て去るということについて深く極める上において、刑務所ほど適している場所は他にないかもしれない。
 あれこれ考え、何かを欲しがっても、ここでは決して叶えられることはない。
 だから、いかなる思考であれ願望であれ、それが起こってくるたびごとに、その考え、願うこと、そのものを龍宮道のレット・オフ原理を応用して手放す。
 そうやって来る日も来る日も、想いと望みを解体し続けていったところ、レット・オフ感覚の限界が感じられなくなってきた。
 まるで無限の深淵が自らの裡(うち)に口を開けたかのようだ。どこまでもどこまでも、深く深く、意識を沈潜させていっても底にぶち当たらない。
 こういう状態を「空(くう)」といい、「底が抜ける」と呼ぶのだろうか。

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 毎朝、明けガラスの鳴き声で目を覚ます。が起床時間(平日7:25、休日7:45)が来るまで布団の中でじっとしていなければならない。
 私は静かに呼吸法を行なったり、瞑想したりしてこの時間を有意義に過ごす。
 起床の合図と共にハネ起き、すばやく布団を決められた通りのやり方で畳み、部屋の隅の所定の場所に決められた通りに積み上げる。
 その後手分けしてトイレ掃除、部屋の掃き掃除、雑巾がけ、朝食の準備。トイレ掃除は素手で行なうが、大阪の留置場や拘置所で体験済みだから何の問題もない。
 それが終わると居室内に整列して正座し、点呼を受ける。その後直ちに食事が配られるが、それを分配し、急いで平らげ、食器を洗うことを10分ほどで行なう。
 かなり慌ただしいが、初年兵の生活がちょうどこんな感じかもしれない。
 収監の翌朝、麦飯に砂糖入りのきな粉をふりかけて食べた時は少々驚いたが、粗食には慣れているから直ちに適応。今では食事を楽しんでいる。毎食、腹七~八分目に留めておけば、きな粉飯だろうと、他の者たちがまずい、ひどいと顔をしかめる珍メニューだろうと、何でも美味しく食べられる。
 我ながら、すごい適応力だと思う。

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「今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。いわく、これは不運ではない。しかし、これを気高く耐え忍ぶことは幸運である。」(マルクス・アウレーリウス『自省録』)

2016.05.21       
 愛を込めて 
 一行