刑務所より愛を込めて No.2


文/高木一行
〜2016年5月10日 〜


愛する美佳、

 君の手紙が届いた。
「そちら」側で様々な動きが起こり始めていると聴いてうれしい。いろんな活動、新たな企画。「こちら」側で閉ざされている私には何もできないのだから、すべてを君たちに委ねる。自発的に、積極的に、「楽しみ」ながら進んでいってほしい。それが私の願いのすべてだ。

 再審(裁判のやり直し)は大阪で行なわれるが、その前段階である再審を求める運動は、広島から起こしても良いと思う。もし、熱意と誠意ある弁護士と出会えれば、だが。

 攻撃型ではなく、共感型の運動を今後展開してゆくことについては、改めて強調するまでもないと思うが、共感・共振はヒーリング・アーツ時代から私たちがずっと一貫して根底に据えてきたことだ。
一般の人々との共感だけでなく、検察や裁判所に対しても、共感、相生の道を探る。龍宮道の実践として。

 刑務所というのは、社会の縮図である前に、まず「人間」の縮図なのだと、実際にそこに身を置いてみて、わかってきた。
 人間と私が言うのは、人と人の間、という文字通りの意味だ。狭い空間でバックグラウンドも、生き方も、価値観も、それぞれ異なる者たちが、朝から晩まで、何ヶ月も、何年も、生活を共にする。
 朝食後から午後5時頃まで「刑務」があり、夕食を摂った後は午後9時の就寝時間まで居室内で自由に過ごせるが、ラジオ番組がずっと大音量で流されるので、瞑想どころじゃない。「刑務所へ行くのは山の中で修業するのと同じ」などと安直なことを言うのは、刑務所の何たるかを知らない素人だ。
 プライバシーも自由もはぎ取られ、人間性がむき出しとなった者たちがひしめき合う、いわば人間の実験室にわが身を置き、人間という存在の本質をじっと観[み]極める。
 それが、刑務所修業だ。

 虚飾も、傲[おご]りも、存在する余地はここにはない。
 互いに礼儀正しく接し、他者に迷惑をかけないよう細心の注意を自発的に払う。だからといってそれは、思いやりとか優しさ、慈愛に基づくものとは違う。
 オレは迷惑をかけない、だからお前もかけるな・・・・。
 ここは徹底した個人主義の世界なのだ。

 1日8時間、座った態勢で手提げ袋を折って、貼って、作りまくる。1日分の報酬は約45円。
 それでも(今のところ)楽しい。
 もちろん、本格的な刑務所生活はまだ始まっていないのであり、これからどこの刑務所へ行くかすら決まってないのだから、刑務所について語るのは時期尚早というものだ。

 元来、正義を守る役割を担う者たちによってデッチ上げられた冤罪によって刑務所(正確には拘置所)に今いる、そのことへの憤りを感じる時、心の中で「イエス」と言う。・・・すると、奥深いところが緩み開かれる感覚と共に、穏やかな悦びが全身を満たす。
 愛する者たちと引き裂かれた悲しみで心が閉じそうになる時も、「イエス」。・・・すると、たちまち深く慰められる。
 私が本来属すべき世界へと再び戻れる日までに横たわる途方もない歳月の長さを想って絶望に打ちひしがれそうになる時も、「イエス」の黙唱。・・・すると、深い受け容れと共に、勇気がこんこんと湧きあふれてくる。

2016.05.10       
愛を込めて
一行