刑務所より愛を込めて No.15


文/高木一行
〜2016年9月3日〜


※本手紙は、<高木一行を支える会>支援会員あてに書かれたものです。

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 差入れの本(『悦ばしき知識』etc.)と手紙が届いた。音楽活動の新しい世界が拓かれつつあるようだね。私もわがことのようにうれしい。
 これまでもっぱら裡へ向けて探求と修練を重ねてきたことにより、他では決して見出だすことのできない独自のユニークな叡智とわざで、君は今やあふれこぼれんばかりになっている。それらが実際にあふれてこぼれる時が来たのだろう。花が自ずから開き、かぐわしい香りを放つように、自然に軽やかに、進んでゆけばいい。
 今この時、君のそばにいて君をサポートし、喜びと祝福を共にすることができないのは残念ではあるが、観点を換えれば、私がおらず、私に頼れず、自立をいやおうなしに強く意識せざるを得ないからこその、君の、新たな開花ともいえる。
 お互いに、この異様な状況に対し、人生の得がたき好機として積極的に向き合い、徹底的に活用してゆこう。

 猫たちが網戸を開けて勝手に外出するようになっちゃったとか、白蛇嬢が脱走したが見つけたとか、後事のすべてを君に託し、任せっぱなしにしているからあれこれ大変だと思うが、きっとうまく切り盛りしていってくれるものと信じて安心していられることは有り難い。
 刑務所修業も順調に・・・順調という言葉を使うことが果たして妥当なものかわからないけれども・・・進んでいる。悩みやわずらいがグツグツ沸騰する苦の海の上に張り渡された細い網の上をあぶなっかしくバランスを取りながらそろりそろりと渡ってゆくような感じだが、誰ぞ知らん、無味乾燥な不毛の生活にあって、私の内面では宇宙的な生命(いのち)の至福がしばしば(静かに、透明に)炸裂していることを。
 ヒーリング・アーツ、龍宮道の基本であるレット・オフの偉効を実感する毎日だ。 「苦」も「悩」も、レット・オフによって神経的に、ほとんど瞬時に、中和させることができる。抑圧するにあらず。耐え忍ぶにあらず。注意をそらせるとか、あれこれ考えて自分を納得させるとか、そういうものともまったく違う。刑務所のような極限状況にあっては、単なる観念論や浅薄な小手先のわざなど一切通用しない。道徳も倫理も宗教も、救いをもたらさない。
 レット・オフは、何かまったく新しい、「苦」へのアプローチだ。と同時にレット・オフは、仏陀や荘子、ツァラトゥストラ、イエスなどが説いた教えの本質とも相通じている。レット・オフは人類への贈り物・・・その確信は刑務所の中で減じるどころか、ますます強まりつつある。

 私が収監される直前から今日に至るまでの約4ヶ月間、熊本の震災、猛暑や台風災害など、常ならぬ異状が日本列島を揺るがし続けているようだが、冤罪で刑務所生活を送る私の目には、天地が何ごとかを訴えかけようとしているかのように映る。
 裁判がすべて終わって初めて、第一審担当の検察官が犯した重大なあやまちを、3名の裁判官らは「気付かず見逃した」わけではなく、「そうとわかった上で意図的にごまかし」「さらに冤罪を重ねた」らしいという信じがたい疑惑が浮上してきたわけだが、今ここで私たちがそれについてあれこれ述べても無意味であるばかりでなく、かえって刑務所内での立場が悪くなりかねない。怒りも憤りもレット・オフし、静かな心で日々の修養へと臨むのみ。
 今、私が取り組んでいる人類レベルの課題と比べれば、検察官や裁判官の不正も、ちっぽけでつまらない些事としか感じられない。

 送ってもらったアーサー・C・クラークの『海底牧場』を、ちょっとした気分転換のつもりで休日に読んだのだが、20代初め頃に1度読み、「面白かった」という印象以外すっかり忘れていたこの本が、私のこれまでの人生に少なからぬ影響を与えると同時に、出所後の人生の方向性をも示唆する、一種の啓示の書でもあることを発見して、深い感慨に満たされた。
 言葉を綴るということについて、収監直前まで徹底的に取り組んで来たし、「書く」ことに対する切迫するような情熱も感じなくなっていたのだが、『海底牧場』を読むうちに、「水」の体験や精神性について出所後に書いてみたいという思いが、期せずして沸き起こってきた。創造性が創造性を誘発する・・・・楽(たのし)!!!

2016.09.03