刑務所より愛を込めて No.14


文/高木一行
〜2016年8月27日〜


※本手紙は、<高木一行を支える会>支援会員あてに書かれたものです。

 ・・・・・・・・・・

 刑務所へ来てからいろいろ本を読んだが、その中で最も心に響き、今後の人生の方向性に関する示唆に富んでいると感じているのは、『荘子』(内篇)とクリシュナムルティの本だ。
 宇宙の実在と一体化した絶対者(真人)を、荘子は次のように描き出す(福永光司『荘子』内篇・朝日新聞社より)。少々長いが引用しよう。
「いにしえの真人は、その風貎に接すれば高くそびえた山のように堂々として崩れを見せず、その茫洋たる風格は捉え所がなくてどこか足りない所があるようであるが、他に求め受け入れる何ものも持たない。威儀は節度にかない、その態度はきちんとして方正であるが偏屈ではなく、何ものにもとらわれない心の虚しさをもちながらキザな所は少しもない。その晴れ晴れとした表情には暗いかげがなく、いかにも喜(たの)しそうであり、事に臨んではためらいがちに、いかにもやむをえずやるといった風である。またその内に充ちた徳は湧きいづる泉のようにおのずからその顔色に現われはするが、その心は外に馳せず、従容(しょうよう)としてその深き内面性を抱き続けている。真人はまた、おのれを包んで世と塵(けが)れを同じうする度量の広さをもっているので、一見世俗の人間と異ならないようであるが、その精神は高く世俗を超えて何ものにも束縛されることがない。秘めやかに自己を凝視する閉ざされた世界への沈潜を愛するかのごとくであり、あらゆる形象概念を忘れて実在そのものの中に恍惚たる自己の生を愉楽する。」
 大学卒業と同時に兵隊に徴集された福永光司は、「大陸の戦場で絶望的な闘いを彷徨した」が、その時、氏が携えて海を渡った書物は、『万葉集』とキルケゴールの『死に至る病』、プラトンの『パイドン』、そして『荘子』であったという。
 福永氏は言う。「私は『パイドン』に霊魂の救いと慰めを、『死に至る病』に不安と絶望のいやしを、『万葉集』に生の歓喜と安らぎを期待したのであったが、戦場の炸裂する砲弾のうなりと戦慄する精神の狂躁とは、私の底浅い理解とともに、これらの叡智と抒情とを、空しい活字の羅列に引き戻してしまった。私は戦場の暗い石油ランプの下で、時おり、ただ『荘子』をひもときながら、私の心の弱さを、そのたくましい悟達のなかで励ました。」

 龍宮道の精神性を読み解くため、『荘子 古代中国の実存主義』(福永光司・中央公書)も勧めておく。
 龍宮道の最奥義を極めんとする志高き探求者らは、クリシュナムルティとも向かい合い始めることだ。
 レット・オフに基づき、「我」を解体しながら、何度も何度も繰り返し読んでゆけば、極意へと近づいてゆける。
 それはもちろん容易なことではないが、クリシュナムルティが本当にわかれば、この世のあらゆる争いや苦しみ、混乱の構造と本性を、思考なしで超時空的に理会し、超克する道が、各自の内面に拓かれる。龍宮道で武術的な修練を重視するのは、外側の敵と戦うためではない。自分自身の内面において、愛と調和の聖なる戦(いくさ)を戦う、そのためにこそ、龍宮道のすべての修法はあるのだ。

 人類の究極の問いに、究極の答えを、龍宮道は指し示すことが果たしてできるのか・・・。そのことを、私は今、刑務所という極限状況のまっ只中にて、体験的に検証・実証しつつある。

2016.08.27